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いつ死んでもイヤ [雑感的]

ときどき深い話になると、周囲で「いつ死んでもいい」という
言葉を聞きます。あるいは「基本的に生きていたくない」
「自分から死のうとは思わないけど、楽に死ねるなら死にたい」。
台詞の中身には差がありますが、みんな、この世界から消えることに
ためらいがない点では共通してる。
べつにかっこつけじゃなく、ナチュラルにそう思ってる。
びっくり。
私の好きなミッチー及川光博さんがよく
「今日という日は二度とない、いつ死ぬかわからないのだから
悔いのない一日を過ごそう」みたく言いますが、それと上記とは
違うよね。「いつ死んでもいい」が、一日一日を悔いなく生きてる
自信から来る言葉なら同じと言えますが……。
私なんて毎日後悔だらけだよミッチー。
目指してるけど。
毎日毎日、明日こそ午前中に起きてさわやかな光の中で
仕事を始めるぞ!って思うのに、起きると午後1時だったりして。
昼すぎに起きると悔いなく生きる一日がそもそも短いんだよ……
うえーん
だからいつでもやり直したい、明日も生きてどうにかしたいと
思っているし、後悔も不安もたくさんあるけど基本的には毎日楽しいので
明日もこの楽しさが続くといいなと毎日思ってる。
これは午後1時に起きて平日の昼間から映画見られる仕事だから
言ってるわけじゃありませんよ。
中学生のときから毎日楽しかったので、当時の友達みさ子ちゃんに
「あんた満足しすぎ」と言われた思い出があったりする。
でも私は、決して現実に対して楽観的でなく、
むしろくだらないことに怯えがちだから
小さなことにも安堵して喜んでしまうのかもしれないです。

私の父は8年前に亡くなりましたが、病気で家で伏せっていたころ、
「朝、窓を開けてもらうと向こうの屋根の間に空と山が見えるだろ。
あれを今日も見られてよかったなあと思うんだ」と、
すげーつまらない景色なのに言い、病院へ車で行く途中には
「今年もみんなで車で出かけられてよかったなあ。行く先病院だけどな
ははは」と、
おまえはペリーヌ物語かというくらい、よかった探しばかりしていました。
満足したがりな性格は父ゆずりかもしれません。
その父が、病気で苦しいとき、
「おれは何か悪いことしたのかなあ」とこぼしていたことを思うと、
生きたくない人がずっと生きて、生きたい人が死ななきゃならない、
理不尽だなあと大人げなく思う。
だから生きたくないって言うな、と主張するつもりはありませんよ。
生きたくないのに生き続けなければならないことも、その人にとっては
死ぬより辛いのかもしれませんし。

ところで今日の午後9時から、ヤフーでミッチーのライブトークが
あるそうですねん。
http://livetalk.yahoo.co.jp/performer/47/
原稿大変ですがここは聴きたいので聴かせてください~>担当様
あとはがんばります!本当!


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